忍者ブログ

世の中ななめに眺めれば

Home > ブログ > > [PR] Home > ブログ > 世間 > 「国立大学に<日の丸>と<君が代>を」

「国立大学に<日の丸>と<君が代>を」

なんて言いだしているようです。
そもそも国旗も国歌も単なる記号であり、他の国から自国を区別するための標識にすぎないものなので、日本にある日本の大学でどうして国旗を掲揚したり国歌を歌ったりしなければならないのか、わけがわからん。
まあ、東大がサンフランシスコに「UTSF」なる名前で分校を設立したのなら、そこが日本ルーツの学校であることを示すためには意味あるかも。
そうでないのにこんなヘンなことを考えるのは、もう理屈じゃないんでしょうね。「オレの言うことは何でもその通りにせよ」とばかりにおのれの威光を社会に及ぼしたい一心であろうとしか思えません。


気概ある大学ならシカトするでしょうが、学長が「体育館裏へ呼び出さ」れるのは困るなどと考えて受け入れるところも出てくるかもしれません。抵抗すると、財政面で圧力をかけてくるのも目に見えているので、屈服するところが多くなる可能性もあります。

こうした場合せめて「面従腹背」の精神だけは保ってもらいたいものです。
日本人って、強大な力を有するものへの対し方は、①負けるの承知で正面からぶつかる、②唯唯諾諾と従う、のどちらかですね。①の典型は先の戦争末期の特攻隊だし、②の典型はマッカーサー占領軍への対応です。
①でも②でもない第三の選択肢として面従腹背、すなわち口では「ヘイヘイ」と言っておきながら後ろを向いて舌を出す、というのがあります。従順のように見せかけながら裏へまわってレジスタンスやゲリラ行為を行って支配者の力を殺ぐやりかたですね。
日本人はどうもこれが不得手というのか、やりたがらないみたいです。敗戦のときも、マッカーサーはレジスタンスやゲリラ的行動が必ずあるものとして乗り込んできています。日本人の私信はすべて開封して検閲したのも、そうした動きを事前に察知して抑えるためだったのですが、そんな行為はまったくなくて拍子抜けしたことでしょう。
小松左京のSF小説「地には平和を」では、終戦直後のパラレルワールドで日本人ゲリラが活動しますが、他には見たことも聞いたこともありません。

しかしながらこのような時代になってくると、不得手だなんても言ってられません。
無理やり「君が代」を歌わされそうになったときはどうするか?
クチパクもいいですが、いずれ本当に声をだしているかどうか調べにきますよ。配属将校ならぬ配属官僚のような人物が駐在して、声を本当に出しているかどうか騒音計を持ってチェックするでしょうよ。そのときは母音で歌う、というのがいいと思います。
「君が代」が歌いたくないのは、もっぱらその歌詞に起因しています。メロディーというものは、好き嫌いあっても、所詮「異なる周波数を持つ空気振動の連なり」に過ぎません。抽象的なものなので罪はないですね。
だから母音でがなりたてて声を出すという方法を採用しましょう。
「母音で歌へ、君が代」というわけです。

「いいあお」

いいああおおあー
いおいいいあいおい
ああえいいおー
いあおおあーいえ
おえおううううあああえ


または冒頭の一字だけ別の字に置き換えて歌う、という手もあります。
「き」を「た」にチェンジするのです。

「民が代」

民が代は
千代に八千代に
さざれ石の
巌となりて
苔のむすまで

民が代、すなわち民主主義の世の中は
千年も、いやそれ以上
小石が集まって
大きな岩となり
それに苔が生えるまでも続いてほしい

いや、なかなかいい歌詞ではないですか。
大学の関係者、教員や学生、が権力にガチンコでぶつかって行って処分される、などつまらないことにならないよう祈っています。


PR

Comment0 Comment

Comment Form

  • お名前name
  • タイトルtitle
  • メールアドレスmail address
  • URLurl
  • コメントcomment
  • パスワードpassword

PAGE TOP