忍者ブログ

世の中ななめに眺めれば

Home > ブログ > > [PR] Home > ブログ > 世間 > 「下から目線の道徳教育」

「下から目線の道徳教育」

最近、学校での道徳教育を教科化しようとしているようですが、「道徳」というとどうして上から目線のエラソーなものばかりなのでしょうかね。曰く「親の恩は山より高く海より深い」。また曰く「仰げば尊しわが師の恩」。またまた曰く「愛社精神なきところに社業の発展なし」。さらに曰く「愛国心を持たない者は日本人ではない」。
こんなのばかりでなく、教科化するなら下から見た道徳も組み込む必要があるのではないですか。

「親の恩」などと言うけれど、別に頼んで生まれてきたわけではないですよね、子供としては。夫婦が一夜快楽を追及した結果、望みもしないのにこのせち辛い世の中に引きずり出された、と言うのが実態です。「とうちゃんとかあちゃんが二人していい気持になったからお前が生まれたのよね、ありがとう」というような感謝の心を、親としては常に持っていなければいけないのです。

卒業式でよく歌われる「仰げば尊し」という歌、「わが師の恩・・・」なんて歌いますが、これは児童・生徒が、自分たちでまたは誰かに頼んで、作ってもらったわけではありません。学校側で、つまり教師側で作ったものを児童・生徒に歌わせているのですが、こんなことさせて教師として恥ずかしくないのでしょうかね。
子供たちが「仰げば尊しわが師の恩・・・」などと歌っているその前で当然かのようにシレッと聞いているなんてよくできると思います。筆者の中学・高校の卒業式ではこの歌は歌いませんでしたが、当時の教師はまともな人が多かったと見えます。
教師という職業は児童・生徒が存在するから成り立つものであります。国・公立の学校なら税金が投入された結果教師は給料がもらえます。私立の学校ならバカ高い入学金や授業料からサラリーが出ます。すなわち児童・生徒のお蔭でおまんまが食え、家族も養って行けるのですからこれを「恩」と考えなければいけません。
この歌は「仰げば尊し生徒の恩・・・」と教師が歌わなければいけないものなのです。卒業式では檀上に卒業生が居並び、そのすぐ下に教師連が整列してこれを歌ってこそ道徳にかなうものとなるでしょう。

「愛社精神」なんてカッコいいこと言っても、そんなの本気にできませんよね。なにしろ経営陣は株主の顔色ばかりうかがっているし、上司はセクハラ・パワハラ・マタハラのやり放題だし、そのまた上司は取引先にたかってタダのゴルフばかりやっているのだし・・・。
企業には責任がありますが、それは株主をもうけさせ従業員を食わせていく責任のみならず、消費者や利用者、または立地点のコミュニティなどにもまた責任が生じます。この「企業の社会的責任」というものは非常に大切なものなので、これを重視しないような企業はダメ企業との烙印を押されてもやむを得ないのですね。
この責任を全うするにはやはり企業内の道徳の状況をありのままに社会に示すほかはありません。部下から見た上司や経営者の行動を人事考課として世間に発表するのです。考課担当者はまだサラリーマンの悪弊に染まっていない、新入社員中心の下っぱ社員を起用するべきです。彼らが経営陣の腰抜けさや上司の汚職、ハラスメントなどを遠慮なく公表できる制度を確立してこそ、その企業はグローバルに発展できるのではないですか。

「愛国心」なんて言われてもねえ。そもそも生まれて来るとき国を選べるものではないですから。もしも選べるようなシステムになっていて、JAPANと書いてあるところに丸をつけて日本に生まれたのであったら、これは自分で決めた責任上どうしても日本を愛さなければならないでしょう。でもそうじゃないのだからね。自分で決められるのなら日本なんか選びっこないです。まあどこを選んでも、住んでみれば問題沢山あり、ということではあるでしょうが、「先進国」と言われている国なら今の日本よりましであることは言うまでもないことです。
そんな国民に「国を愛せよ」などと愛国心を強要する前に、国が国民を愛していることを示さなければまったく話になりません。
「国民になぜ国を愛さないかを問い給うな、政府がどうしたら国民を愛することになるのかを問い給え」ですね。


日本ブログ村世相批評





PR

Comment0 Comment

Comment Form

  • お名前name
  • タイトルtitle
  • メールアドレスmail address
  • URLurl
  • コメントcomment
  • パスワードpassword

PAGE TOP